学会便り News form Conference

学会便り No.36  2018年12月1日

巻頭言

春原 由紀

 臨床にかかわり続けて45年以上を過ごしてきました。児童臨床研究室での、心理劇研究会、児童集団研究会、児童臨床研究会で学んだことが、そして、関係学の理論を私の基盤とできたことが生涯の柱となりました。
 武蔵野大学を退職した後も、幸いなことに、原宿カウンセリングセンター(所長:信田さよ子氏)で臨床実践を続けております。

 現在、私はDVの問題、特に被害を受けた母親と子どもの問題に関心を持ち実践を続けています。
 以前、子どもを虐待してしまうことに悩む母親たちのグループカウンセリングを実践しました。この実践は、MERCという名称で武藤安子先生や土屋明美先生、水流恵子先生たちのご協力を得ることができ、充実した活動になりました。そのグループの中で、私は子どもを虐待していることに悩んでいる母親たちの中に、夫からの暴力を受けている方々がいることに気づかされ、DVの問題への接近を考えていました。そんな時、NPO法人 RRP研究会の先生方にお会いし、DVの問題に近づく機会を得ました。

 当時、DVの問題への一般的な支援は、加害者から被害者がいかに逃げるかが主たる課題となっていました。婦人相談所の調査研究にもかかわりましたが、子どもは「同伴者」との位置づけで、子どもの問題への関心はほとんどない状況でした。そんな中で、RRP研究会は、発足当時から現在に至るまでDVへの包括的支援としてDV加害者のプログラムと、被害母子へのプログラムを探求していた先進的な研究集団です。2008年から私は、RRP 研究会と武蔵野大学心理臨床センター子ども相談部門のスタッフと協力し、被害母子へのコンカレント(同時並行)プログラムの研修と実践を展開していきました。そして、実践を通してDVの子どもへの影響の強さに驚き、そして同時に子どもたちの持つ力に感動を覚えてきました。

 子どもたちは暴力が支配する環境に適応するための自分なりの行動の仕方を学習していました。それは、落ち着きのなさや、攻撃的な行動、自分の殻に閉じこもる等々としてあらわされています。でも、安全なグループの中で、「暴力について考える」「適切な感情表現について考える」「暴力の責任について考える」「問題解決の方法を考える」「安全計画を立てる」などの課題に沿って、徐々に自分の考えを自分の言葉で語り、仲間と関わり合い、自分の経験を整理して成長していくのです。そうした成長は、その後の生活場面にもつながり、いくつもの感動的な報告を母親たちから聞くことができました。

 今年度も来年1月からコンカレントプログラムの実践をスタートします。そこでは、関係学会会員の信田先生、水流先生、田尻さん、泉さんにもご協力いただきます。基本的な考え方を共有する方々と共に新しい思いで子どもたちと、母親たちと楽しく充実した活動を展開したいと張り切っています。

学会便り No.35  2017年12月1日

所感松村康平先生生誕100年から、未来に

会長 矢吹芙美子(東京福祉大学)

 松村康平先生生誕100年を迎えた今大会、それぞれに関係学と自分とのかかわりを振り返る機会になったのではないだろうか。企画運営をされた準備委員、先生と共に歩んだ歴史を語ってくださった登壇者(演者)、そして観客も、それぞれの役割の中で、今ここで感じたことを未来にどう生かすことできるか模索が始まっているであろう。あれから約半年、上越教育大学での日本心理劇学会23回大会では、関係学の次世代の存在の輝きを感じることができた。この流れが強まることを期待したい。

 今、教育が大きく変わろうとしている。乳幼児の保育・教育で言えば、幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領の3法令が改訂された。1989年改訂で、環境による教育、すなわち幼児が自発的・主体的に人や物とかかわる体験を通して育つことへ、2014年の幼保連携型認定こども園教育・保育要領では、主体として自己肯定感<肯定性の原理>が育つことの重要性が入れられた。今年の改訂では、子どもの主体的な活動を通して、知的、情意・協働的<接在共存的>な力が育まれるよう、「幼児期に育みたい資質、能力」と「伸びてほしい10の姿」の視点が示され、世界の幼教育の潮流を視野に入れ、より深い学び、共に学び合う視点が入れられた。そこに伴う評価の視点は、できる、できないではない。子どもたちが何をしようとしているか、子どもの伸びていることを読み取り、これから伸びてほしいことをとらえ、今後の実践の手立てが考えられることである。子どもの学びのプロセスをとらえる保育者の姿勢は、子どもの感じ方に触れ合い、共に関係的にある体験を通して育つのではないだろうか。

 小学校以上の教育では、いじめ問題が背景にあり、道徳の時間が道徳科となり、一時期「動作化」へと逆行していたが、再び「役割演技」が復活した。学校の生活の中の様々な状況で、共に学び合い、共存するプロセスをつくる経験を積み重ねるという流れの中で道徳的あり方が身につくことが望まれる。教科化されたという事は、計画的に葛藤状況場面がつくられそこでの体験を通しての学びを誘うものであり、クラス集団の中のどの子も傷つくことなく道徳的なあり方が身につくかどうかは、心理劇を展開する教師の力量が問われている。演者も観客にも、演じつくられる場面で感じられる心の動きに敏感に、個も集団も共に伸び合う実践ができるよう、理論と技法が展開できる教師が求められる。

 皆様のそれぞれの実践、研究の場での活躍を通して、関係学がさらに発展することを願っている。

学会便り No.34  2016年

所感沖縄は、おーきなわ=大きな和=平和を求めている

浅野 恵美子

 名古屋から沖縄に戻ってから13年が過ぎた。今では、昔の教え子や仲間たちとの縁も復活し、住んでいる地域とのつながりもできて、空や海や大地などの大自然に慰められ、教えられつつ暮らしている。その平和は、米軍基地からは遠い地域だからだ。 沖縄では、沖縄人(ウチナーンチュ)か大和人(ヤマトンチュウ)かを、気にする向きがある。沖縄と本土の文化の違い、過去の歴史、基地問題がそうさせている。私は、宮古島出身であるが、東京で学び、夫が岐阜県人であるので大和人に見られることが多い。

 そんな沖縄で、島言葉(方言)を残す運動が盛り上がっている。テレビでも島言葉での絵本が読まれ、島言葉に変えた歌が歌われている。島言葉と言っても地域によって微妙に違うし、宮古や八重山の方言は本島とはかなり違っている。 なぜ、島言葉なのか。宮古島の島言葉(ミャークフツ)で考えてみる。例えば、宮古言葉には、アララガマ(まけるもんか)、タンディガ―タンディ(神様への感謝・ありがとう)、ビキドン(男)、ミドン(女)、アパラギ(美しい)、ンズギ(醜い)、フスグドン(大馬鹿)などがある。宮古言葉は、強弱がはっきりしていて、腹から声を出しての感情表現が際立っている。ちなみに畑は、パリである。「ンザンカイリャー?」(どこへいくの?)と聞かれたら,「パリンカイユ」(畑にだよ)と答える。言葉とは不思議なもので、この宮古弁が、私に宮古島で生まれたことを思い出させ、力を与えてくれるのだ。生まれた土地の方言は、その人のルーツ、アイデンティティ、精神文化を思い起こさせるものである。

 話は変わるが、つい先日、高江の新基地建設阻止運動の現場で、大阪から派遣されていた若い機動隊員(500人の隊員が本土から派遣)が、フェンスを挟んでもみ合って、芥川賞でも知られる目取真俊さんに「触るな、くそ、どこつかんでどんじゃ、ぼけ、土人が」と発言したという。「シナ人」と発言した隊員もいたようだ。これを沖縄の二大新聞は、差別意識として大きく取り上げた。それを知った沖縄人は、ショックを受け、憤り、悔しがり、涙を流している。その悔しい気持ちは、私にもよく分かる。聞けば、基地内で働いている沖縄人で基地反対の人を、ネット上では以前から「土人」と書いているそうだ。

 沖縄はいつまで基地=戦争を背負わされねばならないのか。敗戦後、沖縄を無視して勝手に米軍基地が作られてから70年が過ぎているのである。いま、普天間基地では異常な夜間騒音に人々は悩まされている。日本政府は横暴な態度で沖縄に向かっている。けれど、ウチナーンチュは、ひるむことはないだろう。沖縄は、戦後ずっとアメリカのやる戦争に巻き込まれてきた。ベトナム戦争の時、ベトナム人は沖縄を「悪魔の島」と呼んでいたそうだ。辺野古の美しい海を埋め立て、さらに強大な軍事基地を作ることはもってのほかである。沖縄は、沖縄の為、日本の為、世界の為に反戦平和を叫んでいる。沖縄の戦いは、沖縄が目ざめた徴であり、沖縄になるための闘いでもある。

学会便り No.33  2015年

会長所感関係学との出会い

水流 恵子

 2015年4月より2年の間、会長を務めることになりました。どうぞよろしくお願いたします。最初に2013年4月から2年間、会長として日本関係学会活性化のためにご尽力いただいた田中佑子先生にお礼を申し上げます。

 会長という重責を担うことに戸惑うばかりですが、関係学の理念に魅かれ、実践や研究を行ってきたものとして関係学会の発展のために役割を果たしたいと願っています。

 関係学を学び半世紀近くになろうとしています。お茶の水女子大学に入学して1年の時、松村康平先生が歩きながら学生に問いかけて講義をなさっていた場面は関係学と出会った印象的な出来事として残っています。当時の私には「人は関係的存在である」ということをすっと理解することは難しく思えました。「関係を切ることで、関係が明らかになる」というような感覚を持っていました。1970年を学生として迎えた私の周りには、社会の問題に関心を持つ人も多く、考え方の違いによる対立も明確でした。「共存する」というあり方は、問題を曖昧にするような、適応のみを強調するものに思えました。そのような時、松村先生の「対立の真っただ中に子どもが在る時、人はどのようにふるまうか」という問いかけは「人が関係的存在である」ということを考え続けるきっかけになりました。

 また、仕事をし、生活をしていく上で自分の支えとなったことに心理劇があります。カウンセリングの仕事を始める時に研修会(日本心理劇協会主催、1981年、冬期心理劇研修会)に参加しました。「出会いの創り方」を課題としたのですが、監督の松村先生は、すっと立たれて、人が出会う場面を創られました。ご自分が相談者になり、「あ、いらして、よかった」とうれしそうに来談者を迎える場面でした。人と人との出会いによって始まり、出会いが喜びとなり、その喜びが日常の生活に展開していくことが相談活動の基本にあると学びました。「関係学」が自分の実践や生活において常にバックボーンとなっていたことを感慨深く思います。

 震災をはじめとする様々な社会的問題に直面する現代において、自己や人や物をかけがえのない存在として大切にする関係学や心理劇の理念は重要なものと思えます。集団や社会と無関係では存在しえない私たちの考え方やふるまい方の可能性を拓き、社会の変革がもたらされる状況を共に創っていくためには常に探求を続けることが必要と思います。松村康平先生創始の関係学の理念のもとに、教育・臨床・看護・地域活動他の領域で実践・研究が展開し、多くの方々のご努力により日本関係学会は存続してきました。本学会の重要な活動として「学会誌」の発行と「日本関係学会大会」および「研修会」の開催があります。1972年に発刊された学会誌「関係学研究」は第41巻第1号を発行予定です。日本関係学会第38回大会は、2016年6月12日に東京薬科大学千代田サテライトキャンパスで開催されます。2013年度には本学会の活性化を目指して研究プロジェクトチームが発足し、2年間にわたり研究論文作成を促進する試みがなされました。今後も日本関係学会の活性化がもたらされるよう取り組んでいきたいと思います。

学会便り No.32  2014年12月1日

所感関係学と心理劇と「教職・保育実践演習」

矢吹芙美子(東京福祉大学・大学院)

 教員養成・保育者養成のカリキュラムに『教職実践演習』『保育実践演習』ができ、当然のごとく心理劇が授業に導入できる状況ができた。基本的な学びや実習を終えた4年後期に設定されており、実践家への導入である。保育所・幼稚園の資格取得者だけでなく、小学校・幼稚園の資格、社会福祉士・保育士の資格を取る学生など、就職先が多様な学生の最後の演習を、私はそれぞれの特色を感じながら楽しんでいる。この大学に移ってからは、発達臨床の場は、学外に出られる限られた時間のみで、学内での臨床の場が作れないことが残念なことであった。しかし、3コマも特色の異なる学生と半年間集中的に心理劇ができる経験は、またとないことである。

 他の科目の中に心理劇を入れる場合、これまで認識的な理解で学習してきた学生の多くは、自発的に動く(演じる)ことも、人に見られる恥ずかしさを感じて体験を通して学ぶこともどちらも難しく、「なぜ心理劇?」と疑念を抱き、逃げ腰になることがあった。しかし、この科目には「ロールプレイング」を入れることが明記されているために、学生の疑念に教師自身が堂々と体験を通して学ぶ力を育てると確信を持って進めることができるのである。心理劇として行うという導入も、役割の取り方を訓練するだけでなく、役割の取り方には「役割取技」「役割演技」「役割創技」の3段階があること、役割をとることを通して、「関係における心の動きに気づくこと」が、相手の心の理解につながることで重要であることを話して進めている。

 学生達の発見的学びは豊かである。微妙な働きかけ方や関係の動きに関しても、子どもの役割をとる体験を通して子どもの気持にも細やかに気づく。今ここの心理劇場面の役割関係の相手である他者、例えば友達や先生役の心理劇場面内での発言や心理劇場面終了後の感想・発見を聴いて、子どもと友達や先生の関係に気づき、その関係を見直し、先にどのようにふるまったら良いのか考える。演者の役割関係にある人、観客、補助自我、監督、1人ひとりの発言から気づかされ、「状況における発見」が増えていく。関係体験(情緒)に支えられ、関係の構造が見えるようになり(関係認識)、ふるまいながら考え(関係洞察)、『いま・ここで・新しく』ふるまってみること(関係責任の遂行)を一歩一歩、歩んでいる。4年間に学んだことを、今ここで起こっている状況に対応させ関係的に押さえられることも効果的学習に繋がっている。関係性という語が多用される時代になったが、関係学は心理劇と共に学ぶことが真髄で、改めて関係学と心理劇は養成の両輪と感じている。

学会便り No.31  2013年12月1日

提言関係学発展のために何をするべきか

会長 田中佑子

 本年4月1日より日本関係学会会長に就いた。2015年3月31日までの2年間である。就任にあたって、提言をしたい。

 関係学は故松村康平先生(元お茶の水女子大学教授)によって創始され、その基礎が体系化  された「人間科学の理論モデル」(武藤,2004,p.58)である。

 理論の実践は、主として保育、教育、児童臨床、看護などのヒューマンサービスを提供する領域に広がっている。関係学がこれらに広がった理由として、3つの特徴が考えられる。第1に、人とそれを取り巻く環境(自己、他者、もののすべて)との関わりの全体像を概観し、整理できる枠組みを提供しており、第2に、「自己・人・ものの接在共存状況の顕在化を志向することに価値が置かれている」(武藤,2004,p.64)ため、活動の目指すべき方向が明示されている。つまり、ヒューマンサービスを提供する状況は、人、自己、ものが多様な関わり方をし、複雑に交錯し、刻々と変動するものである。しかし、関係学の立場に立つことで、実践家は関わり方の枠組みを用いて状況の全体像を整理し、目指すべき活動の方向を洞察し、実践することができる。さらに、第3に、人間に温かい目を持ち、ポジティブで、楽観的ともいえる信頼感を寄せている点である。これらの3つの特徴は、ヒューマンサービスの分野で活動する者にとっては、必要不可欠な要素であり、関係学は活動を進める上で魅力的な理論になっている。これが、実践家たちがともに活動を展開している子どもやその親、クライエントや患者たちの信頼を得てきた理由と考えられる。

 他方、理論を構成する諸法則の実証に関しては、それほど進んでいるとはいえない。心理学者である松村はゲシュタルト心理学、トポロジー心理学、そしてモレノ,J.L.の心理劇の考え方を基礎に理論の体系化を進めてきた(武藤,2004)。しかも、数多くの実践活動を主導してきたから、実践に役立ち、それによって実証された理論になっている。

 しかし、理論モデルである以上、それを構成する諸法則をデータに基づいた証拠によって証明する必要がある。つまり、客観性、普遍性、批判性を確保する必要がある。例えば、概念を操作的に定義し、数量化することで、関係学の諸法則に関心を持つ研究者が追試可能であることを示さなければならない。諸法則がどの研究対象に適用可能なのか、また、適用できないのか、そして適用できない場合の理由を明確にしなければならない。そして、人間科学に関する他の諸理論を評価し、異同を明らかにする必要がある。

 以上の様な関係学を構成する諸法則の検証を丹念に行うことは、関係学に関わる者の果たすべき 役割の一つであると考える。従って、それを進めていけるように研究を支援すること、これを2年間の学会の目標としていきたい。

(注)関係学の理論に関しては、下記の論文にまとめられている。
武藤安子 2004 人間関係についての関係学的理解 現代のエスプリ(佐藤啓子編「人間関係の危機と現実」)10月 58-66.

学会便り No.30  2012年12月1日

ご報告日本関係学会事務局移転

小野 真理子

 今から20年前、1992年6月以来東京家政学院大学(吉川晴美・鈴木百合子、2005年4月より小野眞理子)におかれていた日本関係学会事務局は、来る2013年4月より共立女子大学(小原敏郎)に移管されることになりました。今回、巻頭言を書かせていただく栄誉をいただきましたので、ここに1994年6月に発行された関係学ハンドブック(1994)P26〜27を引用・参照させていただくことで、関係学のこれまでの展開過程について振り返り、更に、事務局の役割において痛感する「日本関係学会の今後の発展に向けた課題」を述べさせていただきたいと思います。(関係学会編「関係学ハンドブック」1994 関係学研究所より引用・参照)

 さて、関係学の創始者・松村康平先生(1917〜2003)は、1960年代に、2冊の著書(『適応と変革―対人関係の心理と論理―』『心理劇―対人関係の変革―』)を出版しました。その後、お茶大児童臨床研究室を中心とする論文研究活動、共学・指導(松村)、および社会に開かれたさまざまな実践研究活動が行われ、関係学の構築に大きな役割を果たしていきました。1975年には<関係学協会>が設立され(事務局:信田さよ子・永山由紀)、1979年6月17日に関係学会の設立総会が開催され、以来事務局は文教大学(佐藤啓子・小原伸子)が担当し、その後1992年に東京家政学院大学に引き継がれたということになります。途中1998年には、学会の名称が「日本関係学会」と改称されました。

 今年は関係学の創始から半世紀、関係学会設立から数えると、33年目になり、<関係学に関連する諸活動が展開し、その機能集団の接在共存、関係発展をもたらす>組織のひとつとして、事務局も機能しています。日本関係学会は、今年度「日本関係学会30周年記念出版関係<臨床・教育> -気づく・学ぶ・活かす-」 を出版し、日本関係学会大会34回、前日には第11回を行いました。大会では口頭発表の後に、第1部 シンポジウム『関係学を基盤とした専門性の養成』と 第2部『東日本大震災について考える(その2)』を行いました。さらに、学会誌第38巻を刊行、会員に配布、ホームページを見て会員以外の方からも関係学研究の定期購読依頼をいただいております。このように現在、研究内容は充実し、社会的にも貢献し、意義のある展開をしています。現在の日本社会において「関係学」のさらなる展開が必要とされている、と確信いたします。

 ただ、いま、移管に際して事務局として心残りな課題は、会員数の低迷です。ここ数年増加しないどころか、むしろ、会員の高齢化に伴い減少傾向に転じているのです。事務局の責任と痛感し、お詫び申し上げます。最後に、関係学の発展を志向して集う人々が一人でも増えていくことを願って、ご報告とさせていただきます。

学会便り No.29  2010年12月1日

ご挨拶あと二つの関わり方と

日本関係学会会長 土屋 明美

 3月11日に発生した東日本大震災とそれに続く福島原発事故により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。これからも途切れることなく考え・行動を継続することは「絆」「つながり」が真に希求されている時代に共に生きている人間としての責務と思います。

 さて、このたび日本関係学会会長の任を仰せつかり、会長になるなどと想像したこともない私は身の引き締まる思いでおります。会員・運営委員の皆様のご協力・ご指導のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 32年前のこと。1979年6月17日の設立総会・関係学会開催にむけて、松村康平先生は率先して準備に着手されており、関係学を世に問おうとする先生の使命感・情熱を感じながら、開催までのお手伝いをさせていただいたことが思い起こされます。 思い返せば、私と関係学との出会いは心理劇公開研究会においてふるまった後に感じたことを言葉にすると松村先生のコメントがあり、そのコメントを聴いた瞬間に新たな気づきが生まれるという、摩訶不思議な体験から始まりました。お茶の水女子大学児童臨床研究室の三段舞台とバルコニーのあるプレイルームでの心理劇研究会では、行為した後にそれと同程度或いはさらに多くの時間が感想とコメントに費やされていたように記憶しています。感想は松村康平先生のコメントにより関係的なフレームで新たに生まれ変わり、それに重ねて質問や感想を述べるとさらに新たな見方が生まれるというようなダイナミックな対話へと広がっていくことがしばしばでした。先生の一言ひと言がまるで生き物のようであり、とらえどころが見つからないときにも一言残らず聴きとろうとしたものでした。それは単に物の見方・感じ方が整理されてすっきりするという類のこととは異なり体験内容にある種の深みと味わいをもたらしてくれることでもありました。時代が少し飛びますが1990年代には5つのかかわり方に加えて新たに二つのかかわり方―随処自在的かかわり方と状況遍在的かかわり方―が提唱されています。この二つのかかわり方は図化されてはいません、と言いますかトポロジー的には図化できないことがポイントかもしれません。関係の「横断的関係」は表現できますが、「関係状況」は図としての表現が難しいことの意味を考えることともつながるのではないでしょうか。関係状況体験の原点とも考えられる「あと二つのかかわり方」は臨床言語として用いる場合の関係学用語に奥行きをもたらす鍵があるのではないかと考えています。5つのかかわり方によりかたどられた言葉の綾から抜け落ちる諸々の事柄を「あと二つのかかわり方」は受けとめてくれるのではないかと夢想しているこの頃です。微力ではありますが関係学と心理劇が両輪の輪として発展するように働きたいと思います。

学会便り No.28  2010年11月30日

所 感早すぎた思想

原宿カウンセリングセンター 信田さよ子

 茗荷谷駅を降りて、金門飯店や梅もとなどのお店を横に見ながら、松村先生の研究室に通った。70年代初頭のことである。思い出すのは大学院で勉強した数々のことがらだ、と書けばかっこいいが、なぜかどうでもいいこと、それも食べ物の記憶が鮮明に浮かんでくる。カウンセリングでも同じことが起きる。クライエントのひとたちは、カウンセリングの合間にふっと語ったそれこそどうでもいいような私の言葉を深く覚えているものだ。後で聞いて赤面することもしばしばだ

 駅弁二人前、茗荷谷駅裏のバンビで二人前完食などは、隠れた私のエピソードだ。若さのせいで代謝がよかったのか、それでもふとることはなかった。今とは大違いである。研究室では昼食に出前をとることがあった。松村先生が注文されるのは、鍋焼きうどんかカレーうどんが多かったと記憶している。実はそれまで岐阜出身の私は鍋焼きうどんというものを食べたことがなく、醤油色に染まったうどんをアルミの小さな鍋からすする先生の姿を見て、思い切って池袋の地下街にあるうどん屋さんのスタンドで食べてみた。あまりのおいしさにはまり、なんと一週間ぶっとおしで鍋焼きうどんを食べたのだった。

 20代前半のあの時代、研究室の外では政治の季節が続いており、私たち院生は結婚しても仕事を辞めず姓を変えないことに、オーバーに言えば命を懸けていた。それから約40年が過ぎシニア世代とくくられるようになったが、あの当時の「責任をとる」「あり方をきちんとする」といった松村先生の言葉は、「命を懸ける」ような真剣さとともに今でも私の老体の一部に生きている。なぜかずっとマージナルな領域ばかりを歩んできたせいか、むしろ今のほうが「原則」「責任」という言葉は仕事や生活で重要性を増している気がする。そして、時にはまるで原理主義者のように相手(といっても精神科医が多いのだが)を糾弾している姿に気づき、既視感とともに苦笑してしまう。

 生涯1カウンセラーを目指す私にとって、臨床と思想は不可分である。生硬なまでに原理・原則にこだわり続けること、今・ここの私から出発すること。すべて大学院で学んだことだ。団塊世代の男性たちが遠い昔を懐古する姿を見るにつけ、いまだに私の中に生き続けている「思想」の意味を学べたことに素直に感謝したい。 関係論の例の図はすっかり書けなくなったが、松村先生からいただいた遺産は、「思想を生きる」こと、「生きる思想」のように思える。それにしても、関係論は早すぎた思想だった、と思う。

関係学会に参加してプログラム表紙デザイン ―心理劇の心に残るものを―

野口 優子

2010年表紙
2010年表紙
2007年頃のデザイン
2007年頃のデザイン

 2005年頃から関係学会のプログラム表紙を作成しております。関係学を抽象化している○(まる)を表現することに夢中でしたが、今年は少し違っています。

 私が表現する従来の○(まる)は、勢いのある、強い、どこからも始まる、つながる、幅のある、ふわふわと飛ぶような、水面に浮かぶ、集まりなどでした。それは、糸引き画や、シャボン玉や鉄部品を用いての作品、マーブリング技法、点描などの作品でした。松村先生の柿のスケッチ(※図1)を合成したこともありました。

関係学の神髄である心理劇を描こうと思ったのは、‘09年11月心理劇学会のワークショップで、遠くからいらした方と初めての方と私の3人の話し合いが大変印象深く、数日経っても思い出すことがありました。その話し合いを絵にしてみようと思いました。3人の3本線は一つの器(※図2)のような形になりました。その後から、心理劇をする度に絵を描くようになりました。

 描く時には、心理劇は様々な場面がありますから、すぐ描くのではなく数日経ってから描いたほうが、感覚的なものが整理されるのか、印象が絞られているのではないかと気づきました。

 2010年表紙(※上図)の下部分の湖畔の絵(※図3)は、月例会での一場面を描いたものです。湖の中を3本の木(場面では3人の人)が静かに立ち、済んだ空気と静かな水面を画いています。上部分はK院心理劇をした瞬間の場面(図4)で参加者がスーとまるで触手が伸びたようで、しかも、各々に相互作用しているような感じを表現しました。その2枚の静けさと伸びやかさをあわせて、表紙デザインにしたのです。このあわせるという作業が関係学的だと思われます。

図1
図1
図2
図2
図3
図3
図4
図4

 『いま、ここ』について、さらに変化をつけて形にしてみる、新しい、楽しい瞬間があります。それが、私を支えているものです。他にもこのような絵(下図)が100点程余りあります。

3/20神奈川研究会
3/20神奈川研究会
6/21KN院
6/21KN院
6/26月例会
6/26月例会
5/28KA院
5/28KA院
5/31KN院
5/31KN院

ここに、関係学会に参加し、なお関係学会プログラム表紙についての記述する機会を得ましたことに感謝申し上げます。